【毒親体験談】現在アラサーが毒親に育てられた日々と、私が選んだ選択

みなさん、「自分の親が毒親なのでは?!」

と感じたことはありませんか?

しかし、「毒親」の定義がイマイチよく分からないという方も多いのではないでしょうか。

そこで、今回は私が実際に経験した毒親の体験談についてご紹介します。

ぷしゅこ

この記事を読んで、「自分の親は毒親だ!」と確信した方は、これから先どのように生きていくべきか考えながらう読み進めていただければ幸いです。

この記事では、時系列ごとに毒親体験記を書いているので、必要なところだけ見ていただければと思います。

目次

幼少期

父と喧嘩するたびに「パパに似てるから顔見たくない」と言われる

前置き
  • 長女として生まれる
  • 母はメンヘラ&ヒステリック&過干渉
  • 父は母の言動に耐え切れなくなる壁に穴をあける
  • 母の親も毒親

私の両親は、本当に喧嘩の絶えない夫婦でした。

意識がある状態(3歳くらい?)からは、喧嘩している音を聞くのが本当に苦痛でした。

母はメンヘラだったので、言葉の暴力が凄まじく、平気で人を傷つけてどん底に落とすような言葉をかけていました。

例えば、父に対しては「仕事できないあんたが出世できないのは当たり前」とか、父の趣味のギターに対して「そんな気持ち悪い曲作って何が楽しいの?」とか。

母には人の心が無いのか…というくらいに、様々な罵倒をしていました。

頻繁に喧嘩をしては、父が家を出ていくというのがお決まりの流れでした。

父親が溺愛していると嫉妬される

父は、長女として生まれた私を溺愛していたと聞かされました。

未だに祖母からも「父ちゃんはお前を溺愛していた」と言われます。

そのため、母は私に嫉妬し、妹ばかりをかわいがるようになりました。

私に対して意地悪なことばかり言い、子供部屋に閉じ込められていた私は、妹と2人でリビングで仲良く過ごす母と妹を静かに見守るだけでした。

しかし、実の娘を溺愛することは普通ではないのでしょうか?(笑)

「父が私をかわいがらなかったら、私も母から愛されたのだろうか?」と幼いながらに思っていました。

幼いころの私は、生きていただけで母親に嫉妬されるという意味不明な状況についていけませんでした。(笑)

母は妹だけをかわいがる

前述しましたが、母は一切の愛情を妹に捧げました。(涙)

父と喧嘩した母は、私の顔を見るなり「パパみないな顔して、そんな顔見たくない」と、私の顔を見るのを嫌がります。

そして何かあるたびに「お前はパパに好かれてるからいいだろ」と言われます。

しかし、当時父は単身赴任をしており、常時家にいるのは母と私と妹の3人でした。

そのため、母と妹は常にペアになっており、私1人がハブられているという状況でした。

家族にハブられるとか意味不明だな???と今になって思いますが、当時の私はなぜ私だけ嫌われているのか全く理解できず、「ママに好かれたい、ママに笑顔になってほしい」と健気に願うだけなのでした。

中学・高校

部活で遅くなっても怒られる

母は私の帰りが遅くなるのを極端に嫌いました。

小学校・中学校の頃は、夏は17時半、冬は16時半と学校で変える時間が決められていましたが、それを少しでも超えると激怒です。

たとえ部活で遅れるとなった場合でもです。

高校生の頃はケータイを持たせてもらってましたが、帰りが遅くなると恐ろしいほど着信履歴とメールが残されていました。

「部活なんだから仕方ないじゃん…」と思いつつ、「帰ったらめちゃくちゃ怒られるんだろうなあ…」と怯えることしかできない学生時代でした。

家に帰ると、案の定、母は泣き叫びながら怒り散らしました。

裸で外に出される

母は常に怒っていたため何が原因かは覚えていませんが、怒り狂った母は私を素っ裸にさせてお仕置きとして外に出しました。

私もよく分からないまま従いましたが、今思えばかなりキチガイですよね(笑)

しばらくすると家の中に入れられましたが、それを当時友達に話したところ「あんたの親やばくない…?」とあっという間に私の親のやばい認定をするのでした。

壁やドアが壊されるのは日常茶飯事

上記でも説明しましたが、両親は本当に喧嘩が絶えない夫婦でした。

そのため、両親の怒鳴り声が毎朝のアラームになっており、寝坊することはありませんでした。

その点では感謝しています(?)

母は言葉の暴力で父を罵倒し、父は元々めちゃくちゃ優しい人なので言い返す言葉が見つかりません。

その結果、手が出てしまいます。

父が母にとびかかるも、母は口を止めずに父をずっと罵倒しています。

父も頭に血が上って暴れています。

その結果、家の中は穴だらけになり、修理を呼ぶことも多々ありました

治すなら最初からやらなきゃいいのにね☆

余談ですが、母は父のギターを壊すこともありました。

ほんとキチガイ。

大学生

大学に授業に出ているか電話で確認される

私は学生時代、両親に「大学が一番楽しいから絶対に大学に行け」と言われて育ちました。

そのため、友達と遊ぶ時間を削りめちゃくちゃ勉強させられました。

大学に行くなら絶対家を出たいと思っており、県外の大学を志望しましたが、県外の大学なら国公立以外許さないと言われており、残念ながらその大学は落ちてしまいました。

そのため、実家から通える距離の私立大学へと入学が決まりました。

とはいえようやく大学生になり、「親も大学が一番楽しいって言ってたし、少しは自由になるのかな」と淡い期待を抱いていましたが、それは間違いでした。

なんと、今までよりも束縛が激しくなったのです。

大学では、様々な県から来ている友達ができ、非常に楽しい生活を送れるところだったのですが…

1人暮らしの友達が多いということもあり、宅飲みが増え、バイトもするようになり、家にいる時間が無くなりました。

その分親の怒りも大きくなり、大学に私が授業に出ているか電話で確認を入れるようになりました。

あ~~~私は結局自由になれないんだな~~~と人生に絶望すると同時に、「いやいや、大学は自由で一番楽しいって言ってたの誰だよ」ってなりました。

バイト先に電話される

「大学が一番楽しい」という言葉で私を縛り付け、怒られまくって、勉強させられまくったのにまだ干渉してくるのはおかしい。と開き直った私は、家にも帰らなくなりました。

すると、母は私のバイト先に電話をかけ、バイト先の社員に「うちの子に家に帰るように言ってください」と、なんとも恥ずかしい電話をするのでした。

自分の子を縛り付けるためなら、どんな手を使っても良いという感覚が非常に恐ろしすぎました。

奨学金の申込書をビリビリにやぶられる

私立の大学に入学した私は奨学金を借りていましたが、母から「そんな子は大学に行くな」とありえない写真が送られてきました。

なんと、奨学金を継続するための書類がビリビリに破られた写真がLINEと共に送られてきたのです!

実際のLINE
破られた奨学金書類

さすがに引きました。

もちろん奨学金は私自身が返しているので、何もここまでしなくていいのではないかと思うのでした。

奨学金については無事に借りることができ、今でもしっかり返済しています。

補助一切なしの一人暮らし&生活を始める

さすがに無理だと思った私は、1人で不動産に行き、1人で住むための家を決めました。

1人暮らしという名の家出ですね。(笑)

引っ越しの日まで時間があったので、全て1人で手続きをし、家具も適当に買いそろえました。

当時学生にして貯金が100万近くあったので、1人暮らしをするだけの準備は余裕でした。

更に、当たり前に親からの仕送りはないため、学生時代から自分で生計を立てるという生活が始まりました。

学生ながらに生計を立てるというのは結構大変で、ちゃんと生活できるかという不安に駆られました。

しかし、バイト先に恵まれていたこともあり、生活できない状況に陥ることはありませんでした。

水商売を始める

私が通っていた大学では、お小遣い稼ぎのためにキャバクラでバイトする子が多くいました。

私の仲の良い友達からキャバクラを紹介してもらい、私も働くことになりました。

キャバクラの魅力は、何といっても時給の高さ。

最低でも時給3000円はもらえるんですよね。

水商売を始めたとは言え、そこまでどっぷり浸ることはありませんでした。

「お金を効率よく稼ぐだけ」と割り切っていたため、何かやらかすこともありませんでした。

しかし、私を気に入ってくれたお客さんはとても良くしてくれ、当時私の部屋に無かったテレビをくれたり、ご飯を食べさせてくれたり、沢山の人に助けられました。

もちろん、体の関係は一切ありません。

テレビの世界では、キャバクラは女同士の戦いが酷く描かれていますが、そんなことは全くありませんでした。

むしろ、みんな話しやすい子ばかりで、お店で友達になった子とは今でも連絡を取り合っています。

そんなこんなで、私は大学生活を謳歌し、誰に何を言われることもなく、自分で生活し、授業もバイトもサークルも両立する生活を手に入れることができました。

毒親に育てられた影響

めちゃくちゃ空気が読めるようになった

一番はこれですよね(笑)

毒親育ちの私は、空気を読めなければ死ぬくらいの気持ちで生活をしてきました。

少しでも親の考えと違ったら鬼が怒り狂うと知っていたので、人の顔色を伺うことは大の得意でした。

しかし、我が家の親は考えに一貫性がありません。

「この間はこう言っていたと思えば、今日は全く違う発想をしている」ということしかありません。

そのため、いつ地雷を踏むか分からないのです。

いくら空気を読んでいたとはいえ、それが外れたときは精神がズタボロになるまで罵倒されました。

しかし、そのおかげで今までの人間関係でやらかすということはありませんでした。

唯一感謝できるポイントかもしれませんね(笑)

押さえるけられるのを極度に嫌うようになった

これまで親にめちゃくちゃ押さえつけられていたのですが、私は押さえつけられれば押さえつけられるほど反発したくなってしまう傾向にありました。

そのため、職場でもパワハラなど、社員を押さえつけるような指導をしている上司には絶対に従いませんでした。

また、これは当たり前かもしれませんが、束縛の激しい彼氏とは一瞬で別れました。(笑)

押さえつけられることがあると、その瞬間に拒否反応が起こり、その場から逃げ出さなければという防衛本能が働いてしまうのかもしれません。

そのため、私は会社などの組織に属するのが苦手な社会不適合者になってしまったのでしょう…

毒親とは縁を切った方が良い

ここまでで私が感じたのは、「毒親とは縁を切った方が良い」ということです。

何故なら、「一緒にいても悪影響しかないから」です。

もちろん、私は痛いくらいに「できることなら自分にとって唯一の親と仲良くしたい」と思っています。

しかし、これまで関わってきた中で、良好な関係と言える期間はあったでしょうか?

お互いに良い影響を及ぼし合うことはできたでしょうか?

…できませんでした。

一緒にいることで傷つけられ、苦しい思いをするだけでした。

でもやっぱり「親だから」という気持ちを完全に捨てることは難しいですが、親とできるだけ接触を減らすことが、自分が幸せに生きるための唯一の道だと思っています。

そんな時に読んでいた本がこちらです。

タイトル:母がしんどい
著者名 :田房永子
ページ数:125ページ

こちらは、「血のつながった親であっても、自分が幸せになる道を選んで良い」ということを教えてくれる本です。

実際、私も当初は親を捨てられずにいました。

しかし、「母がしんどい」を読んだことで、実の親と決別する勇気を持つことができました。

もし同じ境遇にいる方がいれば、是非ご自身が前向きになれる本を読んだり、自分が幸せになれる道を歩んでいただけると幸いです。

最後までご覧いただきありがとうございました。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

会社員のときに副業でライターを始め、1年で独立。
Gallup認定ストレングスコーチを取得。

コメント

コメントする

目次